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- ソフトバンク生みの親:孫正義の素顔
日本で有名な起業家の1人と言えば、孫正義だろう。
ゼロから事業を立ち上げ、1代で会社を上場企業に育て上げた創業経営者だ。2013年にアメリカの米携帯会社スプリントを買収し(2020年6月Tモバイルへ売却を発表)、2016年にはイギリスの半導体事業のアームを買収(2020年9月米半導体大手エヌビディアへ売却を発表)するなど、グローバル事業も積極的に展開しており、世界的にも名の知れた企業家である。商品や時価総額を知っていても、彼の生い立ちや素顔を知る人は少ないだろう。本記事では、記者が見た普段知ることができない孫正義のエピソードを紹介する。商談の前のアイスブレークや雑談のネタになるだけでなく、今後のビジネスのTipsとなるかもしれない。
孫正義ソフトバンクグループ会長は日本に情報革命をもたらした立役者だ。彼無くして、これほど速やかに日本の津々浦々までインターネット網、携帯電話を普及することはかなわなかっただろう。1957年生まれで日本列島の西の端、九州・佐賀県出身の彼は、地方と東京などの大都会との情報格差を痛いほど感じていた一人であったはずだ。だからこそ、高校時代のアメリカ留学で知った情報通信技術が成しえる未来の形を思い描くことが可能だったに違いない。そして常にフロントランナーとして、情報通信の世界を切り開いてきた。
現在のソフトバンクグループは様々な企業を買収し、情報通信・AI事業のコングロマリットであるだけでなく、投資会社の色を強めている。売上高は6兆円を超え、子会社1475社、関連会社455社、共同支配企業27社(いづれも2020年3月)を擁する。アメリカでの事業を経て、日本で1981年ソフトバンクを創業した後の躍進についてはよく知られている。
グローバルにビジネスを展開する孫は多忙を極めるが、日本国内滞在時はまさに分刻みのスケジュールとなる。筆者が勤務していた経営誌でも孫会長が車で空港に向かう移動中に取材を行ったこともある。孫とのアポイントは15分、長ければ30分もらえればよい方で、移転前の汐留本社では、客が待つ部屋を孫が訪ねていく形でこなしていたという。それだけでなく、社内の決裁案件も同時にこなさなければならない。その時間はどう確保するのか。
「社内の我々は紙1枚にまとめて、会長がアポイントからアポイントへ移動する間にプレゼンするんですよ」とはある社員の話だ。孫はその場で瞬時に判断を下すのだという。IT業界の進歩は秒進分歩と言われるが、そのトップの決断も驚くほど速いのだ。
運動の時間を作るもの難しいが、孫は創業当時、重病で九死に一生を得た経験を持つだけに、健康にも気を配り、足首にウェイトをつけて執務することもあった。それをさりげなくアピールしたというお茶目な一面もある。
2018年4月、孫は創業経営者を表彰するイベントの会場で、イベント主催者である老企業家のMr.Kの元に歩み寄ると、「本日はおめでとうございます」としっかりと握手した。イベントの20周年を機に表舞台から引退する主催者の花道を飾るため駆けつけたのだ。このイベントはソフトバンクグループの行事でもなく、取引先や提携先の行事ですらない。ましてや世間に大々的に知られたイベントでもないのだ。
ではなぜ、代理を立てることなく、孫自ら会場に足を運んだのか。
それは、孫とMr.Kがソフトバンク創業時から親しくしており、彼の創業時に孫が「大いに応援すると約束した」というそれだけの理由だった。以前に縁があっても、自分に利益のない人間は断ち切ってしまうことが多いのが人の常。しかしながら孫は非常に義理がたく、数十年前の口約束も守る男だったのだ。
イベント運営事務局が孫の秘書から参加可能の報を受けたのは、開催当日の朝のこと。参加時間は15分、花束贈呈と記念撮影に応じるという内容だったが、それでもそれは奇跡のようなことだった。
当時は米国携帯電話会社スプリント社や英国半導体設計会社アームなどの事業のため、ほとんど日本国外に滞在。それだけに孫の帰国中のスケジュールを抑えることは至難の業だったからだ。
イベント会場のフロアのエレベーターが開き、孫が会場にむかって歩みだすと、それまでロビーで談笑していた参加者は誘導されたわけでもないのに、一斉に両端に寄った。会場まで一本の道のように空けられたロビーの真ん中を、孫は静かに歩いて行った。
予定されたプログラムをこなすと、孫は急遽、演壇でスピーチを行うことを承諾した。他の起業家を鼓舞するメッセージを20分以上にわたって送ったのだ。ソフトバンクワールドや決算発表など、自社イベント以外で講演するなど昨今ではないことだ。そして孫が参加するならと出席した企業家がいることを知ってか、その後に続いた他の企業家たちの講演にも耳を傾けた。結局1時間余り会場に滞在し、会場の聴衆との握手にも応じるサービス振りだった。
会場を去る時も孫劇場は続く。イベントのスタッフとにこやかに握手をし、建物の出口で待っていた主催者を見つけると、しっかりと抱擁し、爽やかな風のように立ち去って行った。
実は入場時、孫はスーツにノーネクタイだった。イベントの主催者から記念のネクタイが贈呈されることを知り、そのネクタイを着用して参加しようというはからいだ。ところがイベント終了後に手渡されることを知り、急遽グループ会社の社長からネクタイを借りて締め演壇に上がった。イベント事務局を慌てさせることなく、きめ細かな心遣いが出来る人物なのだ。
成功を収めると、それだけの理由で近寄ってくるわき前のない人物が後を絶たない。後ろ盾もなく文字通り裸一貫で現在の成功を成し遂げながらも、韓国系日本人であるという出自のため、時にはいわれのない差別や誹謗中傷を受けてきた。だからこそ信頼できる人間や縁、恩の重要さを誰よりも理解し、大切にしてきたのではないか。そんな彼の人間性に触れ、周囲の人間は孫のファンになり、彼が思い描く世界を実現する一助になろうと邁進するのだろう。