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ユニクロの生みの親:柳井正の素顔

ユニクロの生みの親:柳井正の素顔

いまや世界的ブランドのユニクロ。売上高1兆6000億円、日本国内に加え、北米やヨーロッパ、アジアなど25カ国に2250店舗(2020年8月期)出店している。ユニクロの赤い正方形のロゴは、同社がスポンサーを務めるプロテニスプレーヤーのロジャー・フェデラー選手や錦織圭選手、プロゴルファーのアダム・スコット選手らのウェアでも目にするようになった。

ユニクロを中心とした企業グループ持株会社であるファーストリテイリング代表取締役会長兼社長の柳井正は、父親から紳士服小売会社を受け継ぎ、世界有数のアパレル企業に育て上げた。ユニクロというブランドを知っていても、彼の生い立ちや素顔を知る人は少ない。本記事では、記者が見た普段知ることができない柳井正のエピソードを紹介する。

日本発アパレル製造小売業(SPA)のリーディングカンパニー

ファーストリテイリングは約3630店舗、売上高約2兆2000億円(2020年8月期)と世界第1位のアパレル製造小売業だ。1949年、柳井会長の父親が山口県に創業したメンズショップ小郡(おごおり)商事が前身である。紳士服販売店を受け継いだ柳井は、仕入れた衣服を販売する従来型の商売に疑問を抱き模索していた。そんな時、香港のSPA「ジョルダーノ」の成功を知り、1984年、SPA「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」を広島県でスタート。1990年代後半からのフリースの大ヒットで、日本国内におけるカジュアルウエアSPAとしての知名度、シェアを不動のものにした。さらに「ヒートテック」に代表される機能性下着を導入後は、若者中心だった顧客層が高齢者まで一気に広がった。世界的な衣服のカジュアルダウントレンドの追い風もあり、斜陽と言われるアパレル業で驚異の発展を遂げている。

アパレル王にも苦手がある

柳井は眼光鋭く、決して愛想笑いをしないため、体格は小柄ながらも剛の存在感がある。記者会見でも強い口調で記者をやりこめることもしばしばだ。しかし、そんな柳井でも決算発表の場で業績を読み上げるときは人が変わってしまう。吃音があるのだ。売上高などの数字を読み上げるだけの簡単な内容にも関わらず、記者席からもわかる位、柳井が緊張しているのが伝わってくる。日本のアパレル王とでもいうべき柳井でも、苦手な事があるのだと、初めて決算発表の場に参加した時は驚いたものだ。それでも部下任せにせず、自身で行っていたのは、業績は企業にとって最重要であるとの信念からだったのだろう。

業績発表の後の質疑応答になると、打って変わって柳井の口調は滑らかになり、「先程のアレは記者を煙に巻く作戦なのではなかろうか」と思えてくるから不思議なものである。

元ZOZO前澤氏にも諭す経営論

「御社の企業理念の話が聞きたいのに、なぜ売上げや規模ばかりにこだわるのですか」。

これは2008年、ある講演会でアパレルEC企業スタートトゥデイ(現ZOZO)前澤友作社長(当時)が柳井にした質問だ。当時、同社は東証マザーズに上場したばかりで知名度はそれほど高くなく、売上高も60億円規模の企業。その対する柳井の答えは明確だった。「そういうことは、自分の会社の(売上などの)数字を作ってから言いなさい」。

また、2013年には20坪程度の小型店舗を年間100店舗ほど出店していたSPAクロスカンパニー(現ストライプインターナショナル)石川康晴社長(当時)にも「なぜ小さな店ばかり作るのか、経営は規模だ」と路線変更を促した。石川は「コンビニのように小さな店舗でも戦える」と言い返したが、それをきっかけに一店舗当たりの売上高の違いに愕然とし、大型店出店へと方針を替えた経緯がある。

それはなぜか。まず企業の目的は出来るだけ大きな業績をあげることなのは間違いない。利益率の高い大型店舗はグローバルスタンダードであり、その店舗運営をデフォルトにするという意味もあっただろう。

しかしそれよりも、柳井は「グローバル市場で受け入れられない限り、加速度的に衰退していく」と当時から見通していたからではなかろうか。大型店舗でスピーディーに企業を成長させ、出来るだけ早く海外に進出しグローバル市場で定着すること。ITの登場で栄枯盛衰のサイクルが速くなった現状では、それらを遂行できない限り、企業の維持も発展も困難だ。

アパレル業界の衰退は著しく、現在では旧態依然とした老舗ブランドは苦戦を強いられ、さらにコロナ禍が追い打ちをかけ、ブルックスブラザーズなどの老舗ブランドの破産も相次いだ。前述の前澤氏も業績不振や株価低迷の為2019年ZOZO社長を退任した。反してファーストリテイリングは2020年前半こそ苦戦を強いられたが、急速に業績を回復させている。

柳井の哲学 – 全て変わるからこそ・・・

炭鉱で栄えた宇部で紳士服販売を始めとして手広く事業をしていた父の下で、柳井は豊かな少年時代を送ったが、石炭需要の減少と共に町自体は衰退していった。その状況を見ていた柳井は「どんなに反映していても衰退する、全てのことは変わる」と実感したという。その原体験が柳井の哲学の一つだ。

全てのことは変わるからこそ、「イノベーションに取り組み、お客様の声を聞き、顧客を創造していく」と柳井は講演会で語っている。企業を繁栄発展し続けることが出来て始めて、社員を幸せにし、企業理念や社是を実現させることが出来る。高邁な理想をいくら掲げても、変化の非常に速い時代に適応して変化していかなければ、それは夢想にしかすぎない。

あまのじゃくな性分の柳井は、「自らの経験で掴んだことでしか成長出来ない」と承知しているからこそ、若い起業家らに「まずは事業を大きくせよ」とシンプルに訴えかける。現象は移り変わり、個々の事情によっても異なる。業績以外の経営にまつわる事象はそれぞれが独自に体得していくべきものだと考えているに違いない。

柳井は規模にこだわり、売上にこだわり、スピード感を持って自らが変わり続け結果を出す。そして「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」というファーストリテイリングの社是を実現していく。

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